働く父母の願いから生まれた学童保育

保育園の子供たちは、卒園した翌日からどんな生活が待っているのでしょうか?
保育園では食事も、おやつも、傷病に対しても大人の保護がありました。

ある日を境にそれらの保護は一切なくなります。
小学生になった子供たちは、親の帰ってくるまでの時間を一人で生活しなければなりません。

保育園を出たばかりの子どもに、そのような能力があるでしょうか。

ましてや、夜勤のある家庭の子どもはどうなるのでしょうか。

そういった心配は、現実のものとなりました。

 

いくつかの例を紹介します。

○子供が交通事故にあっても親と連絡が取れない。

親が帰宅して子どもがいないので探したところ、病院に運び込まれた事を知った。

○一人で留守番をしていて火事になった。

また、火事が心配だからどんなに寒くてもストーブを使わず、布団にくるまっている。

○体調が悪くて下校後家で寝ていたが、病状が悪化し親が帰ってきた時は危険な状態であった。

○それ以外にも「かぎっ子」と呼ばれる子供たちは様々な危険にさらされました。

鍵をなくさない為に胸に紐でつるす事は、その子の親が今いないことを知らせているようなものです。

その為に犯罪・非行などにも巻き込まれた事もありました。

 

親の悲しみ、子供のさみしさと苦しみが大きな力となっていきました。

同じような境遇にある親達が集まり、力を出し合い「放課後を安全に過ごせる場所」として学童保育所を作り上げました。

その形は一定ではなく、指導員は親の中で都合の付く人が交代で保育したり、近所の方に頼んで保育したりしました。

また、保育施設は父母の家を使う事もありました。何しろ「安全に」を第一の基準とし、その為にもてる力を出し合ったのです。

社会情勢は婦人の労働力を必要とし、専門的職業に従事する女性の参加、また核家族化による夫婦と子どもだけの家庭の増加。次第に学童保育所への要求は高まります。

「保育に欠ける」子どもとしての法的根拠以上に、親達の粘り強い運動で行政を動かしてきたのです。

 

今日、学童は市町村の運営となったり、助成金というかたちでの援助を受けて運営されるようになってきました。

現在、弊所のように名古屋市から助成金を受けている民設民営学童保育所(留守家庭児童育成会)が約170ヵ所あります。

しかし、その運営は非常に不安定なものです。財政的な問題、指導員の労働条件の問題、遊び場の問題、などあまりにも多くの問題を抱えています。

もし、今いる親の力が弱ければ、いつ学童が消滅してもおかしくないのです。

多くの子どもの苦しみと親の不安から、また子どもの命を守る為に生まれてきた学童保育を共に守り発展させていく事を願ってやみません。